旅の途中  〜2〜  


 ふいに、バラバラバラと頭上のトタン屋根が鳴って、大きな雨粒が降り注いだ。
「あっちゃー、降ってきたなー、ハデに」
 少年は、思わず天を仰いだ。
 この大降りでは、左右どちらの道を行ったとしても、たちまちびしょ濡れになっていただろう。
 おんぼろバスとそこから降りてきた女のおかげで、出発が遅れて助かった。
「ああっ、もう!」
 女は、大粒の雨を避けて、少年のいるトタン屋根の家の軒下に駆け寄ってくる。
 濡れた服う払いながら狭い軒に並んで雨宿りをはじめた彼女に、少年はすぐさま話しかけた。
「どーも、ありがとう。助かっちゃいました、おかげで!」
 見ず知らずの少年にいきなりお礼を言われて、女は戸惑った様子で、
「はあ……」
とだけ答えて、そっぽを向いた。
 不審な若い男と、身を寄せ合うようにして雨宿り。
 早く雨がやんでくれないものか。後ろ姿が、そう言っている。
 少年は、かまわずに話しかけた。
「旅行ですか?」
「ええ、まあ……」
と、女。少しだけ振り返って、愛想笑いを見せた。
「すぐやむから、大丈夫ですよ。今日は、この辺りは降ったりやんだりだって、ラジオの天気予報で言ってましたから」
 自転車の一人旅の必携品は、小型のラジオである。今、自分が走っている辺りの天気が、いつでもどこでもチェックできるし、なにより退屈しのぎにもなる。
「そうみたいね。テレビの天気予報で言ってたわ」
 女は、少年がただの人懐っこい旅行者だと思ったのか、少し気を許した様子で向き直ると、逆にきいてきた。
「ねえ、君。なんで、あたしのおかげで助かった、なんて言ったの?」
「はあ?」
「さっき言ったじゃない。ありがとう、助かったって」
「ええ、実はね、オレ、まさに自転車に乗って、出発しようとしてたんですよ。ところが、あなたがバスから降りてきて、その様子がちょっと気になって、そのおかげでこうして雨宿りできたから」
「あたしの様子が、気になって? どういう意味なのかな」
「ハハ、別に気にしないでください」
「気になるわよ、そう言われるとかえって。ねえ、どこが気になったの?」
「いや、その……」
 思わぬ追求を受けて、少年は困り果てた。
 感じたことをそのまま口にするのは憚りがある。
 かといって、眉をつり上げた女の様子から、適当にあしらうのも難しそうだ。
「ねえ、答えなさいよ」
「ええ、だから、こんなド田舎にしちゃ、垢抜けたカッコの人がいるなあって……」
 感じた疑問の一部を、口にする。
「……なんだ、それだけ?」
 女は、拍子抜けしたように、またそっぽを向いてしまった。
「あのー、この町に昔、住んでたことがあるんですか?」
 ふいをついた少年の質問に、女はギョッとなってまた振り返る。
「な、なんで?」
「いや、バス降りたあと、なんか懐かしそうにしてたから。それに、知らない町だったら着いたばっかの時ってついキョロキョロしちゃうでしょ。そういうカンジじゃなかったですよ」
 女は、少し意外そうに少年を見つめて、
「ええ、そうよ。あたし、この町に高校の時まで住んでたの」
「あ、やっぱし。でも、里帰りとかじゃなさそうですね。親とか兄弟は、もうここには住んでないんでしょ?」
「なっ、なんでそんなことわかるの!」
 女は、驚いて声をあげた。
「だって、バス停でしばらくボーッとしてたじゃないですか。親とかこの町に住んでるなら、真っ先にそこに向かうか、せめて電話くらいするでしょ。ケータイとか、そこの公衆電話で」
と、少年は、タバコ屋の店先の公衆電話を指さした。今どき珍しい、ダイヤル式のピンク電話である。
「──じゃなくても、こんな雨に降られたら絶対電話するよね。傘持って、迎えにきてくれってさ」
 少年の『推理』を黙って聞いていた女は、クスッと笑みを漏らして、
「面白い子ねー、あなた」
と言って、ショルダーを開けてタバコを取り出した。
 チラッと覗き込むと、ショルダーの中身は、財布とタバコとライター、それに白い封筒が一つ入っているだけだった。
 それを見た瞬間、少年の中である『想像』が頭をもたげた。
 答えを求めて、尋ねる。
「すいません、今、何時ですか?」
「時計、持ってないの。……あら、あなた腕時計してるじゃない」
「あっ、そっか! ハハハ」
「変な子ね」
 疑問が深まる。
 その疑問を確信にするために、もう一つ質問をぶつける。
「これから、どこに行くんですか?」
「どこって?」
 少年は、二手に分かれている道に目をやって、
「あの右の道と左の道、どっちに行くつもりなんですか?」
 女は、やや間をあけてから、答えた。
「右よ。ぶらっと、海でも眺めにいくつもり……」
「……そうですか。じゃあ、オレも右の道に行こうかなー。景色がよさそうだし」
 女は、それを聞くと少し迷惑そうに、
「やめたほうがいいわよ。右のルートは、登りがきついから。自転車だと、大変じゃないかな」
「いや、オレは右に行きますよ。だから、あなたは左に行ってください」
「えっ?」
 女は、ぎょっとなって少年の表情を覗き込んだ。
「な、なんでよ、なんであなた、そんなこと……!」
 少年は、やおら向き直り意思の強そうな太い眉をきびしく寄せると、
「だって、自殺するつもりなんでしょう?」
と言って、その澄んだ瞳で女を射抜くように見据えた。



〜つづく〜