旅の途中 〜3〜 


「あの岸壁から、海に飛び込もうとか、考えたりしてるんでしょ? ダメだよ、そんなの。若いし美人なんだから、もうちょっと命を大事に……」
ゲジゲジ眉の少年は、さらに問い詰めた。
「なにバカなこと言ってんのよ、あなた! ど、どうしてあたしが自殺なんか……」
 女は、おろおろと声をうわずらせる。
「ほーら、あわてた。やっぱそうだったのかよ。わかるよ、それくらい」
「わ、わかるって、なんで……」
「まず、その靴。ブラブラ散策に来たにしちゃ、歩きにくそうだよね。あの岸壁の辺りまで歩いて戻ってきたりしたら、踵がすり減っちゃう上に、マメができそうだ。それから、そのショルダーの中身。財布とタバコとライターと、妙な封筒だけ。普通は、あなたみたいにおしゃれしてる女の人なら、少なくとも口紅くらいは持ち歩いてるよね。だって、食事したりお茶したりしたあと、塗り直したりするもんじゃん?」
 女は、無言で目をそらしている。
 少年は、さらに確信を深めて、
「それから、時計を持ってないってのも、おかしい。そこらに時計なんか見当たらないことくらい、もともと住んでた町ならわかってたはずさ。なのに時計をもってこないってのは、妙じゃないか。だって、こんな町じゃバスは一日に数本しかこないと思うし、時計がなかったら、乗り遅れて一時間とか二時間とか待つことになっちゃうぜ? ねえ、どうするつもりだったの? 説明してくれよ」
 女は、答えずに視線を宙に泳がせている。 もはや、少年の指摘が的を射ている事は疑いようもなかった。
「トドメが、傘を持ってなかったことさ」
 少年は、そう言っていつのまにか雨のやんだ空を見上げた。
「──今日の天気予報は、雨が降ったりやんだりってことだった。あなたは、テレビを見て、それを知っていた。にもかかわらず、傘を持たずにここにやってきたのは、どうしてかな。答えは、一つしかないよ」
 少年は雨のやんだ歩道に歩み出ると、そっぽを向いている女の前に立った。
「あなたは、昔住んでいたこの町の景色のいい岸壁から海に飛び込んで、死ぬつもりだったんだ。だから、多少マメができようがかまわずに気に入った靴を履いてきた。その白い服は、死に装束のつもりかい? もう食事をしたりお茶をしたりすることもないから、口紅は持ってこなかった。帰りのバスに乗ることもないから、時計はしてこなかった。誰かに形見で残してきたのかもね。
 傘を持ってこなかったのも、当然さ。傘って、できれば持ち歩きたくないもんね。あとで海に飛び込んで、どうせびしょ濡れになるなら、多少雨に濡れてもいいや、って思ったんじゃない? てことは、そのショルダーの中の封筒は、『遺書』ってヤツ?」
 そこまで言われても何も反論せずに、ただ黙って空を見上げている女に向かって、少年は声を荒らげて言った。
「あのさ! 黙ってしらばっくれてもいいけど、絶対死んだりすんなよな! どんなことがあったのか知らないけどさ、もう自殺するしか進む道が残ってないんなら、進まないで戻りゃいいんだよ! そうだろ!」
「……」
「自殺なんかしないって誓えよ! そうでなきゃ、どこまででもついていくぞ。絶対に死なせないからな! ジッチャンの名にかけてさ!」
「……ジッチャンって、誰よ? なに偉そうに言ってんの、ガキのくせして」
 女は突然にそう言って、笑った。声を出して、愉快そうに笑った。
紅をさした唇から、白い歯をのぞかせながら。
 その瞳は、かすかに潤んでいるように、少年には見えた。
 少年は、それを見てホッとした。笑顔になって、自転車をまたぐ。
 空は、いつのまにか日が差している。
 青空を探すようにぐるりと天を見渡して、わざと高い声で言った。
「あれえーっ、晴れてら! これは、もう雨なんか降りそうもないな。天気予報、大外れじゃん。オレの推理も、外れかなー?」
 女も、わざとらしい高い声で答える。
「外れよ、外れ! 大外れ! 天気予報が外れそうなことくらい、わかんないのかな、バッカねー! あたしはね、昔の友達に会いにきたの。ただそれだけ!」
「なーんだ、それだけか!」
「そうよ。……じゃあね! 変な坊や!」
 手を振って、女は歩き出した。
 左の道を選んで、早足で。
 少年は、彼女をしばらく見送ると、自転車のペダルを漕ぎ出した。
 右の道を、海へと向かって。
 雨雲を吹き飛ばした風に、後ろで縛った長い髪を泳がせながら。
 気ままな一人旅は、まだ始まったばかり。
 ここはまだ、ほんの……。
 旅の途中。




                終わり