『上海魚人伝説』裏話、続き


日テレHプロデューサーが、最後の交渉のために上海に飛んで数日。
私はもう、半分は覚悟をきめていました。
よくて香港、あるいは台湾、最悪のパターンでは横浜中華街まで想定して(笑)、
彼女からの連絡を待っていたのです。
そして恐れと期待を胸に待っていた彼女からの電話。
「やったよ! 納得させたよ! 最後はお互いにいい思いしましょうっ、て事で、シェイクハンドしてきた!」
開口一番、そんな言葉が飛んできました。
すごい人だ、と心底思っいました。あの中国共産党を、単身乗り込んで納得させてくるなんて。
「まったくOKなの?」
「うん、ほぼ大丈夫。ただ、中国人の刑事を負けキャラにしすぎるのは、マズいみたいだから、シナリオではそのあたり、ちょっとまた直さないと。でも、殺人もダメ、日本人の子供が活躍するのもダメ、なんてムチャはもう二度といってこないはずだよ」
「よ、よかった……」
ともかく、これで撮影に入れる。さあ、どんな映画になるのか。
私は、シナリオの修正を手伝いながらも撮影本番に胸を踊らせ、撮影が開始されたらぜったいに現地にいくぞ、と心にきめたのでありました。
(でも、その前に小説を書かないといけなかったんですけどね)


撮影は、堂本剛クンの過密スケジュールのこともあって、突貫工事で進められました。
一刻もはやく上海に飛びたかった私ですが、連載を多く抱えていたため当然むり。
けっきょく撮影を見にいけたのは、ほとんど最後に近くなってからでした。
現場は、想像以上に過酷で、暑さと湿度でスタッフはダウン寸前。
剛クンがダウンして、一時中断ということもありました。
彼もえらかったなぁ。まだ17、8だったと思うんですが、
フラフラで死にそうな顔をしていても、カメラが回るとキリッとなり、あるいは笑顔をみせ、とプロ根性を発揮しまくってましたよ、すでに。
でも、一番大変だったのは、Hプロデューサーでしょう。
すべてのやっかいな交渉事や仕切りを、たった一人でこなしていくその様は、鬼気せまるものがありました。
夜になると当然メシくって飲んでになるのですが、深夜に「寝酒」といって、ワインボトルを丸ごと1本分もって帰ったのを、今も覚えています。
それくらい飲まないと寝られないんだ、なんてことを言ってました。
ヘトヘトになりながらも、全身から「ゴゴゴゴ……」(笑)とオーラを発散し、
撮影現場の実質上の最高責任者として動き回るHさんは、まさにドラマの鬼(失礼)。
鉄面皮(またまた失礼)で表情を変えずにひたすら頑張る彼女には、頭が下がる思いでした。しかし、私を心底感動させたのは、撮影の最後のクライマックスに彼女がみせたある『姿』だったのです。


         (つづく)


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金田一少年の事件簿 上海魚人伝説殺人事件   マガジンノベルス

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