『金田一少年の事件簿』ノベルス 〜電脳山荘殺人事件〜


プロローグ(続き)



『ほんとにきてくれたんですね。ありがとう。でも、すみません、やっぱりちょっとまだ、会うのはこわくて……。けど、話はきいて欲しいんです。電話でもいいから──』
 切羽つまったような声だった。
「ん、しかし……」
 青年は口ごもった。テーブルの脇で、迷惑顔のマスターが、用が済むのを待っている。店内に公衆電話はない。外に目をやる。
 赤い電話ボックス。電話をかけていたリクルート学生は、もういない。
「──この電話、店のだから。こっちからかけなおすよ。そこ、どこ?」
「喫茶店です。別の──」
「じゃあ、まずいかな?」
「いえ、店の公衆電話に電話番号が書いてあるから、ここにかけてくれたら大丈夫だと思う。番号言います」
「ちょっと待って──」
 青年はバッグからボールペンを出し、テーブルの上の紙ナプキンに市内らしいその番号をメモして、電話を切った。
 まだ熱いコーヒーを無理に飲み干して会計を済ますと、青年は外に駆けだした。歩道に書かれた文字を消し終えたバイトが、入れ代わるように店の中に戻った。
 青年は、赤い電話ボックスに踏み込んだ。靴底と土台のコンクリートの間で、ジャリッと音がした。ガラスのかけらを踏んだのだ。誰かがボックスのガラスの下の方を蹴り割ったらしい。そこだけすっぽりと、ガラスが抜け落ちている。
 テレホンカードを差し込むなり、紙ナプキンに書かれた番号をプッシュした。
 呼び出し音が一つ鳴るか鳴らないかで、相手は出た。声は女だったが、電話を通した女の声はみんな同じに聞こえる。思い切って名乗ると、相手は安心したように、
「あたしです」
と答えて、すすり泣くような調子で話をはじめた。
 青年は、必死で少女を説得した。
 死んだらだめだ。
 死ぬ気になったら、どんなことだってできる。
 そうとも、一度死んで生まれ変わったつもりで、全然違う自分を捜してみなさい。
 青年の大声が電話ボックスの外にまで聞こえたのか、ゴミ置き場に停めてあった自転車の持ち主が、自転車をガタガタと動かしながらけげんな顔で見て、逃げるように走り去った。
 二十分が過ぎた。
 少女は、まだ自殺をほのめかしている。
 青年はガラスに開いた穴から流れ込む、嫌な臭いに閉口しながらも、少女を懸命に説得していた。
 胸を締めつけるような息苦しさが増すなかで、青年はしだいに言葉を発する力を失っていった。ただごとではないと気がついた時には、電話ボックスのドアを押し開けることも助けを呼ぶこともできなくなっていた。
 青年は受話器を落とし、電話ボックスの中でへたり込んだ。懸命に息を吸っても、息苦しさがおさまらない。
 助けて……。
 目の前にぶらさがっている受話器に向かって、彼は叫ぼうとした。しかし、それは声にならなかった。
 遠のく意識の中で、受話器から聞こえていた少女の声が、むなしい発信音に変わるのを聞いた。
 周りの景色が暗くなってゆく。
 なぜだ、なぜこんなことに……?
 死ぬのか、このまま。
 なぜ……?
 ……。
 青年の疑問は、混濁する意識の泡沫となって消えた。
 じわじわと痺れるような感覚が、全身の皮膚から体の中にしみ込んできて、それが頭の芯にまで達した時、青年の意識は二度と帰れない深淵へと沈んでいった……。

 この日、S市郊外の電話ボックスで起きた“変死事件”は、地元警察の調査の結果、偶然が重なり合って起きた不幸な“事故”として処理された。
 “事故”の責任をとるべき人間も見当たらず、結局はゴミ収集日に捨てられていた、事件の原因となった漂白剤の製造元に対して、簡単な事情聴取が行われたのみで、この件は捜査終了となった。
 秋が深まるころ、一部マスコミがこの“事故”を、被害者の青年の起こした体罰事件と結び付け、「天が下した判決」という題をつけて小さな記事にした。

 そして、
 季節は冬へと移り変わった……。




プロローグ 終わり 以下本章は講談社ノベルス『電脳山荘殺人事件』へ……
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