『鬼火島殺人事件』より

プロローグ



 それはまさしく魔法だった。
 暗い鍵穴の奥で、確かにそれは起こったのだ。
 亡霊のように浮かび上がった死体の首には縄がまかれ、口もとからはどろりとした血が滴り落ちていた。
 そして、縄の先には手術用のゴム手袋をつけた手。悪魔の手。殺人者の手。
 殺戮の光景!
 探偵は、鍵穴ごしにその全てを確かに目撃したのだ。
 なのに……。
 駆けつけた管理人が、合鍵でドアを開けると、そこにはなにもなかった。誰もいなかった。
 煙のように、幻のように、全てが消え失せていたのだ。
 この“密室”から。
 青ざめた死体も、恐るべき殺人者さえも……。
 入り口のドアも、窓も、隣の部屋に通じる内扉も、全てきっちりと鍵がかかっていた。もちろん、隠し扉などあろうはずもない。
 そして、探偵たちが部屋にとびこむまでに要した時間は、わずかに3分。
 探偵は、思わず天をあおいだ。
「信じられない……。奇跡だ。悪魔の所業だ。悪夢だ。まったくのデタラメだ。こんな馬鹿なことが……」
 瞬間、雷鳴が轟いた。
 空気が震え、古い病院の窓はビリビリと音をたてる。
 孤島の病院。
 全ての通信手段は途絶え、三日後にやってくるはずの定期船を待つのみだった。
「ああ、こんなことになるなんて……」
「いやだ、おれは死にたくない!」
「誰か、助けてくれ!」
 そこにいる誰もが、恐怖に震え、弱音を吐き、涙を流した。
 ただ一人、探偵をのぞいては……。
「……密室殺人」
 そうつぶやいた彼の瞳に、闘志の炎が燃え上がった。
 探偵は、そこにいる全員の表情をうかがった。誰かが、嘘をついている。芝居をしているのだ。
 恐怖におそれおののく芝居を。
 考えろ。
 探偵は自分に言い聞かせた。
 閉ざされたドア。
 鍵穴。
 合鍵を持って駆けつけた管理人。
 その瞬間、密室の中から聞こえた物音。
 ゴリゴリという、何かがこすれるような……。
 そして、ゴトンという重い物が落ちる音も確かにした。
 ヒントは、きっとこの中にあるはずだ。
 探偵は、殺人鬼の悪魔の知恵に挑もうとしていた。
 だが、血なまぐさい連続殺人劇の幕は、まだ上がったばかりだった……。




(以下、本編は9月頃に復刊予定のマガジンノベルス『鬼火島殺人事件』にて)

金田一少年の事件薄〈4〉鬼火島殺人事件

金田一少年の事件薄〈4〉鬼火島殺人事件